港を照らす燈明台 [今治・東予]
燈明台は江戸時代に多く建てられた和式灯台のことで、
常夜灯とも呼ばれています。
明治時代に洋式灯台(現在の灯台)が建設されるまで、
全国各地の港に多く建てられました。
福山市にある 鞆(とも)の浦常夜灯 もその一つです
波止浜湾は古くから来島海峡の急流を避ける潮待ち場として
多くの船が停泊
また、塩田業が栄えたことにより関係船が出入りしました。
そのため、多くの船が行き来し潮待ち場としての役割を果たす
波止浜湾に燈明台が設置されたのです
そして、潮待ちをしている間に船の修繕が行われたことにより
波止浜湾は修繕業・造船業が盛んになり、現在に至ります。
(赤丸が波止浜湾です)
(波止浜湾には5カ所の造船所があります)
常夜灯とも呼ばれています。
明治時代に洋式灯台(現在の灯台)が建設されるまで、
全国各地の港に多く建てられました。
福山市にある 鞆(とも)の浦常夜灯 もその一つです
波止浜湾は古くから来島海峡の急流を避ける潮待ち場として
多くの船が停泊
また、塩田業が栄えたことにより関係船が出入りしました。
そのため、多くの船が行き来し潮待ち場としての役割を果たす
波止浜湾に燈明台が設置されたのです
そして、潮待ちをしている間に船の修繕が行われたことにより
波止浜湾は修繕業・造船業が盛んになり、現在に至ります。
(赤丸が波止浜湾です)
(波止浜湾には5カ所の造船所があります)
波止浜湾の燈明台は、高さ約6m
花崗岩の石積み構造で、土台には「海上安全」「船番所」
海運の守護神である「金毘羅(こんぴら)大権現」の文字が刻まれています。
歴史としては
1703年(元禄2年)に波止浜船番所が設置され、
1892年(嘉永2年)に船番所横に燈明台が建設。
1902年(明治35年)近くに洋式灯台が建設されたことにより
現在の波止浜港(波止浜観光休憩所)前に移設されました。
(正面には今治造船今治工場が見えます)
(夜には工場夜景を見ることが出来ます)
移設後約100年以上、この燈明台には明かりは灯りませんでした。
しかし、波止浜に住む匿名男性が地元の活性化にと点灯を提案。
県もそれを快諾し、男性は福山市鞆の浦にある常夜灯を訪れ、大まかな構造を確認。
その構造を参考にし木枠・ガラスを発注しLED電球を設置。
昨年12月下旬に正式点灯しました。
(夜の点灯風景 柔らかな光が印象的です)
また、工事費と電気代は匿名男性が全額負担 するそうです。
170年以上前の灯台が現存し、新たな波止浜のランドマークタワー
として明かりが灯りました。
匿名男性の発案・実行力は素晴らしいことだと思います。
また工事費の全額負担など地元を愛していることが
燈明台の明かりとともに伝わってきます。
今後もこの燈明台は、波止浜湾のランドマークタワーとして
地域を明るく照らし、人々の生活を見守っていくことでしょう。
byコー
花崗岩の石積み構造で、土台には「海上安全」「船番所」
海運の守護神である「金毘羅(こんぴら)大権現」の文字が刻まれています。
歴史としては
1703年(元禄2年)に波止浜船番所が設置され、
1892年(嘉永2年)に船番所横に燈明台が建設。
1902年(明治35年)近くに洋式灯台が建設されたことにより
現在の波止浜港(波止浜観光休憩所)前に移設されました。
(正面には今治造船今治工場が見えます)
(夜には工場夜景を見ることが出来ます)
移設後約100年以上、この燈明台には明かりは灯りませんでした。
しかし、波止浜に住む匿名男性が地元の活性化にと点灯を提案。
県もそれを快諾し、男性は福山市鞆の浦にある常夜灯を訪れ、大まかな構造を確認。
その構造を参考にし木枠・ガラスを発注しLED電球を設置。
昨年12月下旬に正式点灯しました。
(夜の点灯風景 柔らかな光が印象的です)
また、工事費と電気代は匿名男性が全額負担 するそうです。
170年以上前の灯台が現存し、新たな波止浜のランドマークタワー
として明かりが灯りました。
匿名男性の発案・実行力は素晴らしいことだと思います。
また工事費の全額負担など地元を愛していることが
燈明台の明かりとともに伝わってきます。
今後もこの燈明台は、波止浜湾のランドマークタワーとして
地域を明るく照らし、人々の生活を見守っていくことでしょう。
byコー